2章 Day.34「意識と自由意志」

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私たちの脳の構造は

ネットワークになっています。

 

しかし、

 

私たちの「意識」と呼ばれるものは

実は直列的で、

 

AだからB、BだからC、

みたいに

 

一直線で繋がっている

イメージなのです。

 

「喉が渇いた」

だから

「ジュースが飲みたい」

だから

「買いに行く」

のように、

 

直列になっています。

 

これは「サーチライトモデル」

と呼ばれます。

 

しかし、

 

私たちの「脳」というのは

直列ではなくて並列回路なので、

 

常に同時に複数のことを

処理しています。

 

視覚とか嗅覚とか

聴覚とか触覚とか

 

全部が同時に

動いているのです。

 

「意識というものは

本質では無いのではなかろうか」

 

なので、現在ではこんな議論が

立ち上がっています。

 

これが「受動意識仮説」と

呼ばれるものです。

 

本来、意識というのは

受動的なものなのではないか

 

という仮説です。

 

今まで

私たちの「意識」と呼ばれるものが

捉えられていた姿というのは

 

意識 = 自分の人格

 

中心に意識がいて

各部位に命令を出すように

 

「指を曲げなさい」

「肘を伸ばしなさい」

 

と、指示を受けてから

動かしていた

 

と思われていたのです。

 

そのため、

 

「意識」は自分の人格で

運動の命令を下す部分だと

定義されていましたが、

 

いま言われている

「受動意識仮説」というのは

 

分かりやすく例えれば

頭の中に小人がたくさんいて、

 

その小人たちが

議論しているようなイメージ。

(インサイドヘッド:ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズより)

 

「今、目からこういう情報が

入ってきてるよ」とか

 

「え、耳ではこういう音楽を

拾ってますけど」とか

 

「それより今は鼻がカユイよ」

とか

 

こういうのを

みんなで議論している感じです。

(インサイドヘッドについてはコチラ)

 

この議論の結果、

 

いま最も重要なことを

みんなで決めて

 

それを後から意識が

追体験しているというのが

 

「受動意識仮説」です。

 

ちょっとイメージが湧きにくいかも

知れませんが、

 

今までの考え方は

「意識」が1人で決めている

と思われていましたが、

 

様々な実験結果により

どう考えても受動意識仮説のほうが

 

正しいのではないかと

専門家たちの間で討論になっているのです。

 

脳内には小人がたくさんいて

色々な情報をみんなで議論し、

 

結果的に一番重要なものを

意識が追体験している

 

これが現在考えられている

「意識」の概念なのです。

 

次のお話は、Day.35「環境デザイン」です。

 

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